花粉は人災だった!? 花粉症の歴史
毎年春に大量の花粉症患者を生み出してしまった背景には、日本の戦後森林政策の失敗がありました。花粉症とは人為的に作られたものだったのです。
毎年春になるとスギやヒノキの花粉が飛び始め、メディアはこぞって花粉情報を流します。
テレビや新聞には皆一様にマスクをして出勤・登校するビジネスマンや学生の姿が映し出されます。
それは本来異様な光景にも見えるはずなのですが、我々はいつの間にか毎年の風物詩、と自然に受け止めてしまっています。
春に飛びやすい花粉については、花粉の種類・対策の春のページにまとめています。
花粉症と言えば、スギ花粉によって引き起こされるものが代表格になっていますが、実はスギ花粉がここまで深刻なのは世界中で日本だけなのです。
それは日本が元々スギが多かったから・・・ではなく、実は日本が戦後国家事業として行ってきた植林事業の失敗と、その後の無為無策によるものだったのです。
日本は戦後、復興のために急増した木材への需要に応えるために、国をあげてスギやヒノキの植林政策を行うようになります。
高度経済成長と共にマイホームを買うことが庶民の夢になり始めた時代です。
スギやヒノキが大量に植えられたのは、広葉樹に比べ、スギなどの針葉樹は成長が4倍も早いためです。
スギの造林面積はなんと、50年代後半から60年代後半の10年間で3倍に拡大。
政府は造林への補助金を大量にばら撒き、山林所有者や業者は次々とスギを植えて行きました。
このように国家規模でスギやヒノキの「拡大造林」を行ってきたのですが、それとほぼ平行して日本では木材の輸入自由化が始まります。
海外から安い木材が入ってくるようになると、国内の林業は価格競争で勝てなくなり、業者は次々廃業して行きました。
林業と言うのは、木を植えて終わり、と言う訳ではなく伸び過ぎた枝を落としたり、木が増えないように伐採したり、こまめな手入れが必要なのです。しかしそう言ったことが行われなくなり、伐採期を迎えた木もそのまま放置されました。
こうして花粉を大量に飛ばすスギやヒノキが手入れもされず大量に放置された結果、その花粉が人々を苦しめるようになったのです。
植えられた木を伐採し、増え過ぎた針葉樹林を減らせば随分変わると思うのですが、林業と言うのは過酷な上に儲からず、林業に従事する人は減少の一途をたどっています。菅直人元総理がかつて「林業で地方再生」などと言っていた時期があったのですが、これは要するに民間に任せているだけでは採算が取れないと言うことです。
花粉症は高度経済成長期の林業政策の失敗とその後の放置が原因です。
原発事故の時も随分言われましたが、花粉症も立派な人災であり、環境問題と言えるでしょう。
国が国民を助けてくれないのなら、自分の身は自分で守るしかありません。
北山村のじゃばらで、自分の身体は自分で守りましょう!