花粉の時期に強い味方 じゃばらの産地北山村とは
花粉の時期の強い味方、じゃばらの産地 「紀伊半島の秘境」の異名を取る北山村とは・・・
花粉の強い味方であるじゃばらは、実は和歌山県にある北山村と言う村でのみ生産されている幻の柑橘類なのです。
そしてその北山村なのですが、北山村は「紀伊半島の秘境」などと呼ばれ、人口は500人ほどの小さな村です。
右の画像は北山村産じゃばらサプリ公式ページから引用した北山村の地図です。
北山村は、和歌山県に属しているのですが、和歌山県のどの市町村とも隣接していません。
一方奈良県と三重県には隣接しています。だけど和歌山県なのです。
不思議ですよね?
和歌山県からぽつんと離れて単身アウェー状態の北山村。こういう地を飛び地と言うようです。
飛び地という言葉に馴染みのない方も多いでしょう。それもそのはず、北山村は日本で唯一の飛び地村なのです。
なぜこのような飛び地が出来たのかと言うと、北山村は元々林業が主な産業で、切り出し山を村に流れる北山川に流し、下流の新宮(現在の和歌山県新宮市)に運ぶと言う事業を行っていたそうです。そんな訳で北山村は新宮との繋がりが非常に強い村でした。
明治時代に廃藩置県で新宮が和歌山県に編入された時に、この結びつき故に北山村も和歌山県に入ることを望み、それが認められた結果飛び地と言う形で存続が認められたそうです。
飛び地として存続を保っていた北山村ですが、平成の大合併の際に三重県に編入される話が持ち上がるのですが、住民投票の結果否決され、飛び地は存続されました。
平成の大合併では日本中で多くの村が消滅し、北山村は和歌山県では唯一の村になりました。
そうなると、北山村は当然自立のために村の財政の健全化が求めらるわけですが、日本中の自治体が財政悪化・過疎化・高齢化などに悩まされる中、北山村も決して例外ではなく随分と苦しい状況が続いたようです。それを打破したのが、じゃばらなのでした。
じゃばらを村の名産にしようと言う試みは1975年から始まっていたのですが、最初は需要が伸びず赤字を垂れ流すお荷物産業だったそうです。
しかし、合併が現実化するなか、村は最後の手段としてネットを活用し、2001年1月に楽天市場に出店します。
以前から噂のあったじゃばらが花粉対策になると言う噂を検証するべく、ネット上で花粉症効用調査1000人モニターを実施しました。数日で1万人を超えるモニターの申し込みがあったそうです。
この結果約半数の人から良い結果を得たのをきっかけに、じゃばらは世に知られるようになります。
2000年まで | 2500万 |
---|---|
2001年 | 5000万 |
2002年 | 1億 |
2005年 | 2億2千万 |
その後上記のように正に倍々ゲームで売上を伸ばして行きます。
現在では村の基幹産業として、財政の要となっているそうです。
また、元々の伝統だったいかだ下りを観光に利用して観光業も行っているとのこと。
花粉対策だけでなく、北山村は村おこしのモデルとしても注目される地域ですね。